作詞:島田陽子
作曲:中村八大
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プロンプトを空欄キープしてないことを後悔して、読まれないことを承知の上で取り上げるのがこの曲ですね。
そして当時は小学2年で20:00以降の歌番組を見てない&レコードを買える小遣いを貰えなかったからアイキャッチに競作ジャケットを使います。

さて最初に載せたのは、ソノシートかレコードか悩むカップリングorB面のこれです。
この曲は1970年の大阪万博のテーマでした。
だから当時のアニメで誰もが知ってる=盆踊りも作られた、オバQことオバケのQ太郎が万博の案内でもしてるんでしょうね❤️

プロンプトで取り上げた、ヴァケーションの弘田三枝子さんも歌ってるんですね❤️
そこで軽く触れたけど、当時の僕の最長距離のお出掛けがこの万博でした。
これで現地泊してたら?
初のホテルとかの泊まりになるんだけど・・・

これは故 アントニオ猪木夫人の倍賞美津子さんですか!
万博の翌年に猪木さんと結婚されたはずでしたね❤️
話を戻すと、大阪万博を日帰りで行きました!
家の近くの駅を始発の5:00ちょい過ぎに乗り、東京駅を7:00の新幹線=当時だからひかりに乗って行きましたね。

万博の2年後に再ブレイクする山本リンダさんも歌ってますか!
東京駅では、我々家族の1本後のひかりに乗る従兄弟家族に遭遇したんです。
お互いの家族間で、いつ万博に行くとかの話題がなかったはずなんで駅で見かけた時はびっくりしました❤️


約44年前まで、夏の終わりってなると?
そんな坂本九さんもレコード出してますね。
ってことで話を進めると、それよりも極端な早起きに子供だった僕は、いつもは快速線を走る電車が各停線を走る中央線の間に寝れた記憶がありましたが、新幹線も今は車窓からの景色とかポイントの記憶が消えています。
考えてみると、当時のひかりは現在ののぞみクラスの=名古屋&京都のみの停車で、それでも3時間ちょい新大阪までかかってましたね❤️

さて元祖 御三家の西郷輝彦さんのジャケットから、夏休みの万博について書くならば混みに混んでた感じでしたね。
そこを東京のしがないサラリーマン家庭が行く訳だから、日帰りでしか行けないのもしゃーないって今なら来年の大阪万博の入場料から理解してしまいます。

当時から有名女優の吉永小百合さんのレコードジャケットですが、そこに並び称されるくらいのアポロの持ち帰った月の石で集客したアメリカ館には行きたくても他のパビリオンを回れないから行けませんでしたね❤️
覚えているのは?
太陽の塔と日本館とくらいかな?

それと父&僕に幼稚園年長の弟と鉄道好きが揃った影響か、会場のモノレールに乗ったことくらいの記憶は残っています。

さて僕も弟も両親からはぐれることなく、夕暮れ時には帰路につけました。
ここで鉄道好きには考えてみると初体験のことを書き忘れてました!

鉄道好きならわかる第3のレールに電気を通す地下鉄が、今ならわかる淀川を越えるのに地上へ出て昭和の東京オリンピックで出来た新幹線の到着駅である新大阪までつなげて、そのまま万博会場まで延伸してる=地上の長距離をパンタグラフの無い電車が走ってたんですよね❤️

さて帰路での思い出としては、新幹線のブュッフェor食堂車で子供らしくカレーライスを食べたことかな❤️
そこから戻って車窓に映る夜の闇を見て、こんな時間帯の旅行は初だな!
なんて思ったものでした。

確か22:00越えたくらいには家に帰る電車には乗れていて、西武線も終電を逃すまではなかったはずでしたね。
でも小学2年の男子にとっては、大阪への日帰り旅行は初の夜更かしにもなって、疲れ果てた記憶とともに眠りに着きました❤️
もしかしたらプロンプトよりも?
う〜ん、同率くらいの最高なバケーションでしたね!
んまぁ、こっちのブログは形跡を残さない読まれ方に期待するしかないんですけどね❤️
そんなこんなで今回はここまで!