僕の人生、相当数をブログに書いています。
世間の誰にもカミングアウトしていないのは、体の問題なんです。

性同一性障害がなく、女になりたいって思いません。
ってことは?
男として生きる。
これは神様に仕組まれた、人間として生き抜くための罠に引っ掛かり、アホ臭い人間に変化した訳です。

目に見える存在ではないから、書ける神様の仕組んだ罠の1つには、物心ついたら誰からも愛されないってことも言えます。
つまり、物心つく前は愛されていたでしょう。
けど、それは記憶に残りません。
いや、待てよ?
僕が生まれた時に、母親は母乳が出なかったって聞いています。
これも神様の仕組んだ罠ですね!

生まれた時から、人間の皮を被らされた下等生物だったってことです。
だから、人間の持つ感情を知ってはいけないんです。
だから、テレビに見たい番組がないと、ブログに走り、暗くて陰気なことを書きたがるんです。
ただ大抵は、まとまらなくアップするに到らないんです。
それが生きている証なんです。

見えてそうで見えていない。
それが僕なんです。
それが文章に?
いや、ブログのタイトルに現れるから、アクセスしても記事が読まれにくい?
読まれても、いいね!に結び付かない=フォロワーが増えない。
そうなる訳です。

究極の暇潰し=冷やかしです。
だからたまに書いている、こんなことこそが孤独感を増しています。
それでいいんです。
落ち込む時は際限なく落ち込み、それを見知らぬ誰かに····
究極は実在しない誰か。
そこに向けてブログで書いている。

それをするから、社会で生きていられます。
普通に人間として生きられない=普通じゃない人間として生きる。
だから精神科に通えず、安定剤みたいな用法を間違えたら死に到る薬は不要とされています。
ここまで考えを持っていくのに、どれくらい時間を費やした?
ってな話です。

存在感を示す=死って考えは、今も消せないんです。
でもブログって捌け口のおかげで、ゲイって存在と同じくらい、表面化していません。
このブログを書く時間を楽しめています。
社会に出て働く=死を求める時間を作り出す。
これも消せない真実です。
けど、他人に気付かれたら負け?なんです。
さて、そろそろ書き終わりますか!

〆の言葉は?
こんなブログのネタ····誰が興味あんねん!
(byプラン9・ヤナギブソン)
こんなギャグ、誰が知ってんねん!
ってあたりで今回はここらで・・・
「ゲイって割り切る人生」への1件のフィードバック